古川ロッパ

1903 - 1961

古川ロッパについて

古川 ロッパ(古川 緑波)は、一九三〇年代の日本の代表的コメディアンです。編集者、エッセイストとしても活動しました。
古川ロッパは、本名は古川|郁郎《いくろう》といいます。もともとは東京帝大総長の加藤弘之男爵の長男である加藤照麿男爵の六男として一九〇三年に、東京の麹町に生まれましたが、生後間もなく古川家に養子に出されました。幼少期より文才に優れていたと言われています。
一九二五年に早稲田大学を中退した後、文筆活動に専念しますが、うまくいかず、翌年には演芸活動を開始します。また東京日日新聞の記者なども務めました。その後、一九三三年には浅草で夢声・大辻司郎・三益愛子・山野一郎らと劇団・笑の王国を旗揚げします。
「エノケン」のニックネームで親しまれた榎本健一とはしばしば「エノケン・ロッパ」と並び称されて人気を争いました。また大変な食通でもあり、食に関する軽妙洒脱なエッセーには定評があります。
また映画出演も多く、一座をひきいての喜劇「ロッパ歌の都に行く」や「ロッパの大久保彦左衛門」「ガラマサどん」「ハリキリ・ボーイ」などで人気を集めました。
また、ロッパは日記を大変マメにつけていたことで知られ、ここに掲載した昭和日記は五年分ですが、現在残されているのは一九三四年から一九六十年の分です。(ただし、一九三五年分は散逸)
大変貴重な昭和史を知る資料となっています。

古川ロッパの作品