林芙美子

1903 - 1951

林芙美子について

 林芙美子は、一九〇三(明治三十六)年、出生の地は山口県下関あるいは門司と言われています。実父は宮田麻太郎、母はキクと言います。麻太郎が認知しなかったので、芙美子は『林フミ子』として、母方の叔父の戸籍に入りました。
 養父と母親といろいろな地を転々とし、十一歳の時本籍地の鹿児島に預けられた後、両親について山陽地方の木賃宿を渡り歩きました。一九一六(大正五)年、十三歳のときに尾道市にしばらく落ち着き、翌年市立尾道小学校を二年遅れで卒業します。その後、尾道市立高等女学校を卒業し、十九歳の時に上京します。一九二八年(昭和三年)、二十五歳の時、長谷川時雨主宰の女人芸術誌が芙美子の詩『黍畑』を載せ、十月から翌々年十月まで二十回、自伝的小説『放浪記』を連載し、これが出世作となりました。一九三一年十一月、パリへ一人旅しました。また、ロンドンにも住み、三十二年六月に帰国しました。
 戦後は流行作家となりますが、乱筆がたたり健康を害し、一九五一年(昭和二十六年)、六月二十六日の夜分、『主婦の友』の連載記事のため料亭を二軒回り、帰宅後に苦しみ、翌二十七日の明け方に心臓麻痺で急逝しました。

林芙美子の作品