堀辰雄

1904 - 1953

堀辰雄について

 堀辰雄は1904年、東京に生まれました。府立三中から第一高等学校へ進学。そこで神西清と知り合い、終生の友人となります。また高校在学中に室生犀星や芥川龍之介と知り合います。
 その後、東京帝国大学文学部に入学し、小林秀雄らの同人誌「山繭」に参加します。1927年、芥川龍之介の自殺に大きな衝撃を受けますが、このころの経験を元に書いた「聖家族」で1930年に文壇デビューを果たします。
 この作品は、小林秀雄に「むずかしい詰め将棋を何とかかんとかして詰ましちゃったような小説だなあ」と言われました。
 肺結核を病み、軽井沢のサナトリウムで療養しますが、そこで矢野綾子と知り合い、1934年に結婚します。しかし、矢野綾子はその冬に死去、その辛い体験は「風立ちぬ」となって結晶します。
 その後も、「菜穂子」や「大和路・信濃路」などを発表しますが、戦後は病が篤くなり、1953年に死去しました。リルケやプルーストなど、海外文学にも非常に造詣が深く、また折口信夫などの影響もあって日本の古典にも深い理解を示し、培われた文学的センスは当時の作家の中ではずば抜けていましたので、ある意味戦後に最も活躍すべき人であったでしょうが、病魔はそれを許してくれませんでした。
 非常に繊細でありながら理知的なタッチは、福永武彦、三島由紀夫などにも深い影響を与えています。晩年の辰雄を支えた多恵子夫人は、2010年になくなられましたが、堀辰雄の業績を遺すことに全力を捧げられました。

堀辰雄の作品