長塚節について
長塚節は、茨城県に一八七九年(明治十二年)に生まれました。十九歳のとき、正岡子規を訪ね、門下となります。子規のもとで、万葉の短歌の研究と作歌に励み、子規の死後も薫陶を忘れずに精進しました。また散文も手がけ、写生文を筆頭に数々の小説を「ホトトギス」に寄稿しました。さらに、夏目漱石の推薦を受け、一九一〇年(明治四十三年)東京朝日新聞に小説「土」を連載します。この作品は、農民の生活を写実的に描写したもので、農民文学のさきがけとなるものでした。
しかし、翌年には咽頭結核を発症し、一九一五年(大正四年)、帰らぬ人となりました。
この作品集には以下の作品が収録されています。
小説「土」については、第一部冒頭に原文のままの「旧漢字旧仮名総ルビ」のものを、第一部の最後に総ルビを廃して必要なものだけにルビをふった「新漢字新かな」のものを掲載しました。
しかし、翌年には咽頭結核を発症し、一九一五年(大正四年)、帰らぬ人となりました。
この作品集には以下の作品が収録されています。
小説「土」については、第一部冒頭に原文のままの「旧漢字旧仮名総ルビ」のものを、第一部の最後に総ルビを廃して必要なものだけにルビをふった「新漢字新かな」のものを掲載しました。