中原中也について
中原中也は、1907年(明治40年)、山口県に医師の子として生まれました。若い時から詩作を始め、詩集としては、「山羊の歌」・「在りし日の歌」が、またランボーの詩の翻訳が、「ランボオ詩集」・「ランボオ詩集(学校時代の詩)」があります。
小林秀雄、大岡昇平などとも交友がありました。純粋な魂ゆえに、傷つきやすく、また時に人を傷つけ、粗暴な振る舞いもあったと言われています。1937年、結核性脳膜炎を発症し、死去。三十歳でした。
骨
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(をか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨——
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、——僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
小林秀雄、大岡昇平などとも交友がありました。純粋な魂ゆえに、傷つきやすく、また時に人を傷つけ、粗暴な振る舞いもあったと言われています。1937年、結核性脳膜炎を発症し、死去。三十歳でした。
骨
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(をか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨——
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、——僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。