高村光太郎

1883 - 1956

高村光太郎について

 高村光太郎は、明治十六年(一八八三年)東京市下谷区に生まれました。父は、高名な木彫彫刻家高村光雲です。本名は、光太郎(みつたろう)と言います。幼い頃から父の薫陶を受け、優れた彫刻の才能を示しました。また、若くして詩作を始め、その分野でも類い稀な才能を見せました。
 一九〇二年、東京美術学校を卒業し、一九〇六年から、アメリカ、イギリス、フランスに留学します。そして一九〇九年に帰国しました。一九一四年に、詩集「道程」を出版、同年長沼智恵子と結婚しました。一九四一年、詩集「智恵子抄」を出版しましたが、戦争中は戦意高揚のための戦争協力詩も多く書きました。一九四五年、空襲のため多くの彫刻やデッサンを失い、岩手県花巻市の宮沢清六(宮沢賢治の弟)方に疎開しました。ここも空襲を受けたため、花巻郊外の大田村山口に粗末な小屋を建てて移り住みました。以後七年間独居自炊の生活を送りました。一九五六年、自宅アトリエで肺結核のため死去しました。享年七十三でした。正に日本の芸術界、そして文壇の巨星でした。

高村光太郎の作品