寺田寅彦について
寺田寅彦は、一七七八年(明治十一年)、東京に生まれました。四歳の時に高知市に転居します。一八九六年に熊本の第五高等学校に入学し英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎と出会い、深甚な影響を受けます。九十九年には東京帝国大学理科大学に入学し、田中館愛橘や長岡半太郎の教えを受けます。
漱石の「吾輩は猫である」の水島寒月や「三四郎」の野々宮宗八は、寺田がモデルだと言われています。
物理学の分野では、一九一三年に「X線の結晶透過」についての発表を行い、その業績により一九一七年に帝国学士院恩賜賞を受賞しています。
また、自然科学者でありながら、漱石の影響などもあり文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残しています。
「天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦の言葉といわれています。
寺田寅彦が試みた随筆を通じての様々な学問領域の融合は、現代では特に大きな意味を持ち、再評価の機運が高まって来ています。
漱石の「吾輩は猫である」の水島寒月や「三四郎」の野々宮宗八は、寺田がモデルだと言われています。
物理学の分野では、一九一三年に「X線の結晶透過」についての発表を行い、その業績により一九一七年に帝国学士院恩賜賞を受賞しています。
また、自然科学者でありながら、漱石の影響などもあり文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残しています。
「天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦の言葉といわれています。
寺田寅彦が試みた随筆を通じての様々な学問領域の融合は、現代では特に大きな意味を持ち、再評価の機運が高まって来ています。