若山牧水

1885 - 1928

若山牧水について

 若山牧水は、宮崎県に医師の長男として、一八八五年(明治十八年)に生まれました。宮崎県立延岡中学校在校時より歌と俳句を作り始めます。一九〇四(明治三十七)年、早稲田大学文学科に入学し、北原白秋と親交を深めます。
 一九〇八年、処女歌集「海の声」を出版します。一九一一(明治四十四)年、創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰します。翌年には、太田喜志子と結婚します。またこの年には石川啄木の臨終も看取っています。
 一九二〇年には、沼津の千本松原の景色に魅せられてここに移住します。(現在、沼津市には若山牧水記念館があります。)
 一九二八(昭和三)年の夏頃より病臥し、自宅で死去しました。
 牧水は特に旅と酒を愛したことで知られています。
 

 幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

若山牧水の作品