与謝野晶子について
与謝野晶子は、1878年(明治11年)に、現在の大阪府堺市(当時は堺県堺区)に老舗和菓子屋の三女として生まれました。幼い頃から、源氏物語をはじめとする古典に親しみ、早くから文学の才能を現しました。二十歳頃、与謝野鉄幹と不倫の関係となり、その後鉄幹が創立した「明星」に短歌を発表しました。その後処女歌集「みだれ髪」を刊行し大きな反響を得ました。
1904年の日露戦争の際には、詩「君死にたまふことなかれ」を「明星」に発表したことでも有名です。生涯に残した歌は5万首にも上ると言われ、また「源氏物語」の現代語訳など、子どもを12人も育てながら、圧倒的な質と量の業績を残しました。
歌人として特に有名な与謝野晶子ですが、優れた詩も多く残しています。この「与謝野晶子詩集」には、自選詩集である「晶子詩篇全集」およびその拾遺である「晶子詩篇全集拾遺」を収めました。
「晶子詩篇全集」 文語・口語詩421篇
「晶子詩篇全集拾遺」文語・口語詩239篇
与謝野晶子と言う巨大な存在は、まだ十分その真価が認められているとは言いがたいと思います。古典教養文庫の電子版「与謝野晶子詩集」が、その真価の再発見に少しで寄与できればうれしいです。
1904年の日露戦争の際には、詩「君死にたまふことなかれ」を「明星」に発表したことでも有名です。生涯に残した歌は5万首にも上ると言われ、また「源氏物語」の現代語訳など、子どもを12人も育てながら、圧倒的な質と量の業績を残しました。
歌人として特に有名な与謝野晶子ですが、優れた詩も多く残しています。この「与謝野晶子詩集」には、自選詩集である「晶子詩篇全集」およびその拾遺である「晶子詩篇全集拾遺」を収めました。
「晶子詩篇全集」 文語・口語詩421篇
「晶子詩篇全集拾遺」文語・口語詩239篇
与謝野晶子と言う巨大な存在は、まだ十分その真価が認められているとは言いがたいと思います。古典教養文庫の電子版「与謝野晶子詩集」が、その真価の再発見に少しで寄与できればうれしいです。