亀尾 英四郎について
鳥取県米子市糀町出身で、家業は足袋製造業でした。
米子中学校、岡山の六高を経て、大正十年(一九二一年)、東京帝国大学文学部独文科を卒業、同大学研究室副手となります。
ドイツ文学者として早くからゲーテに心酔し、その貴重な入門書とされるヨハン・エッカーマン著『ゲエテとの対話(英語版)』を完訳して世に問うたのは大正十一年(一九二二年)、二十七歳のときでした。
大正十四年(一九二五年)東京高等学校教授となりますが、昭和二十年(一九四五年)十月十一日、栄養失調死しました。その清廉高潔な生き方は世の人を感動させました。
米子中学校、岡山の六高を経て、大正十年(一九二一年)、東京帝国大学文学部独文科を卒業、同大学研究室副手となります。
ドイツ文学者として早くからゲーテに心酔し、その貴重な入門書とされるヨハン・エッカーマン著『ゲエテとの対話(英語版)』を完訳して世に問うたのは大正十一年(一九二二年)、二十七歳のときでした。
大正十四年(一九二五年)東京高等学校教授となりますが、昭和二十年(一九四五年)十月十一日、栄養失調死しました。その清廉高潔な生き方は世の人を感動させました。