蒲松齢

1640 - 1715

蒲松齢について

 蒲松齢は、中国清代の作家です。字は留仙または剣臣、号は柳泉居士です。聊斎先生と呼ばれました。特に怪異小説集『聊斎志異』や農業・医薬の通俗読物『農桑経』などを著したことで知られています。
 妾の子として生まれた蒲松齢は、家の中でも地位が低く、十九歳の時に童試を受け、県試・府試・道試にすべて首席合格して秀才となりましたが、その後の郷試にはことごとく落第し、合格せずに終わりました。四十六歳になって初めて廩膳生(奨学生)に選ばれ、七十一歳の時にやっと貢生の名誉を与えられました。
 二十歳から小説の執筆を始め、同時に話の素材の収集を行っていました。四十歳の時に、12巻・490余篇に及ぶ志怪小説『聊斎志異』が完成されました。聊斎志異の完成後も蒲松齢は同郷の王士禎の協力を得て文章の推敲を死の直前まで行っていたと言われています。聊斎志異は蒲松齢の死後刊行されました。
 康熙四十九年(七十一歳)、蒲はやっと貢生になり、家塾の教師を辞め悠々自適の生活を送ることができましたが、翌年、正月五日、父の墓参りに出かけた蒲は風邪を引いてしまい、これが原因で次第に衰弱し、正月二十二日、窓にもたれ正座したまま七十六歳で死去しました。

蒲松齢の作品