「ゲーテとの対話(上)」より 千里眼ゲーテ

1823年11月13日 木曜日

先日、天気のいい午後のこと、エルフルトへ行く街道で、一人の老人と道づれになった。富裕な市民らしい風采をしていた。しばらくすると話がゲーテのことに移った。私はゲーテを親しく知っているか、と尋ねた。

「知っているかですって」と、彼は多少得意そうに答えた。「二十年も彼の方の従僕をしていたんです。」そして、彼の昔の主人をさかんに褒め上げた。何かゲーテの青年時代の話をしてくれないかと頼んだら、喜んで承知してくれた。

「私があの方のところへ初めて行ったのは」と彼は言った。「彼が二十七歳位の頃だったでしょう。非常にすらりとした軽快な、華奢な方でした。易々と背負える位だったでしょう。」

私はゲーテはここへ移った当座も、また大変快活だったか、と訊いた。

「全くそうでした」、と彼は答えた。「愉快な人々と一緒に愉快そうにしていました。しかし、度をすぎるような事はなく、そういう場合には大抵真面目になりました。たえず仕事をしたり、研究したりして、芸術と科学とに心をかたむけていました。こういうのが概して主人のいつもの仕事でした。夕方にはよく大公(注 ワイマール公国のカール・アウグスト大公。一七五七―一八二八。ゲーテをワイマールに招聘した。次ページの肖像)が来られました。そういう場合にはしばしば夜の更ける頃まで学問上の話をしあい、それで、彼は退屈してしまって、一体、大公はいつお帰りになるのだろうと思ったりしたものです。」「そして自然研究はもうその頃から仕事にしておられました。」と彼はつけ加えた。

「いつか真夜中にベルがなった事があります。彼の方の部屋に行ってみると、鉄の脚輪つきのベッドを部屋のずっと隅から窓のところへ移して、その上に寝転んで空を眺めておられました。『空に何にも見えなかったかい。』と、聞かれました。何も見えませんと言うと、『それでは、ちょっと番所へ行って夜番に何も見えなかったか聞いてきてくれ。』と言われるのです。私は走って行ってみましたが、夜番も見なかったと言いました。その由を話しに帰ってみると、御主人はやはり寝ころんでじっと天を観ておられました。『ねえ』とそれから言われました。『今大変な時なんだ。ちょうど地震が起こっているか、それとも、これから起ころうかという時だ。』それから私をベッドに並んで坐らせ、そして、どういう徴候からそういう推察をしたかを説明して下さったのです。」

私はこの善良な老人に、どういう天気だったかと質問した。

「大変曇っていました。」と彼は言った。「ちょうど微風さえなく、非常に静かで、欝陶しい感じでした。」

私は彼に、あなたはすぐにゲーテの言葉をそのまま信じたのですか、と尋ねた。

「そうです。」と、彼は答えた。「私はお言葉通り信じました。彼の方の予言はいつも当たったからです。次の日」と彼は続けて言った。「御主人は宮廷でその話をされました。その折、一人の貴婦人が側の女の方に『まあ、ゲーテは夢でも見ているんですわ。』とささやきました。しかし大公とその他の方々はゲーテの言う事を信じておられました。そして、まもなくゲーテの観察の正しかった事が分かりました。と言うのは、それから二三週間も後の事、ちょうどあの夜、メッシナの一部が地震で破壊されたという便があったのです。」

(注 一七八三年二月五日の夕刻、メッシーナは対岸のレッジョとともに大地震の被害を受けた。都市の再建や文化的な復興には、その後数十年を要したという。)

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