詩作について
詩について、ただ二言、君に言っておきたい。君は今の立場を切り抜けて、必然的に芸術の真に高尚な困難な地点に到達しなければ、即ち個性を把握するようにならなければならない。君は無理にも観念から抜けだすことが必要だ。君には才能もあり、進歩もして来たんだから、今こそそうしなくてはならない。君は近頃ティーフルトに行った。まずそれをそういう試みの題材にするといい。あそこの特徴を会得し、すべてのモチーフがまとまるまで、恐らくもう二三度もティーフルトに行って観察したまえ。いずれにせよ、骨折り甲斐のある題材だ。私自身も以前は作りたかったが、私にはできない。私はあの顕著な状態を親しく経験し、あそこにあまり囚われていて、些細な事があまり豊かに迫ってくるのだ。しかし君は初めての人としてやって来て、城守に昔話をさせたり、またただ現在あるもの、目立ったもの、重要なものだけを見ることができる。
難しいのはよく分かっている。けれども、特殊なるものを把握し、描写するのが芸術の真の生命なんだ。
それに、君が一般的なものにとどまっている場合は、だれでも君の模倣をする。けれども、特殊なものは誰も模倣できない。なぜなら、他人はそれを経験しないからだ。また特殊なものは、少しも他人の興味をひかないだろうと心配する必要はない。どんなに特殊な事でも、すべての人物なり、すべて描かれる事物なりは、石ころから人間に至るまで普遍性を持っているものだ。なぜなら万物は繰り返され、ただ一度しか存在しないような物は、この世に一つもないからだ。
個性的な描写をするようになって、初めていわゆる独自な文体ができる。
そして、詩に一々作った日付をつけておきたまえ。そうすれば、それは同時に君の境遇の日記ともなる。それは決してつまらない事ではない。私は長年そうして来て、非常にためになった。
(一八二三年十月二十九日)