徳田秋声

1872 - 1943

徳田秋声について

 徳田秋声は一八七二年に、現在の金沢市横山町に加賀藩家老横山氏の家臣徳田雲平の第六子(三男)として生まれました。明治維新後、秩禄公債で苦しい生計を立てていた没落士族の末子として「宿命的に影の薄い生をこの世に享け」た子供であり、四歳で生家を引き払って後は居を転々とし、また病弱であったため小学校へも学齢に一年遅れで入学しなければならなかったといいます。
 一八九二年、友人の桐生悠々と上京し尾崎紅葉の門を叩きますが、玄関番の泉鏡花に不在を告げられて辞去、その後に送った原稿も送り返されました。しかし、その後無事紅葉の門下に入り、泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉とともに紅門の四天王と称されました。
 日露戦争後には文学の新気運として自然主義文学が台頭するなかで、秋声の文学的資質が、新文学の写実的な傾向と相まって本領を発揮してゆくこととなります。「あらくれ」が代表作として知られています。

徳田秋声の作品