ゴーゴリ

1809 - 1852

gogol

ゴーゴリについて

 ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリは、ウクライナ生まれのウクライナ人のロシア帝国の小説家、劇作家です。
 1821年、ネージンの高等中学校に寄宿生として入学します。そこで絵画と文学に熱中し、卒業後、1828年にサンクトペテルブルクに移り、長詩『ガンツ・キュヘリガルテン』をV・アロフなる筆名で自費出版しますが、評価されませんでした。1831年には愛国女学院に職を得て生活も安定し、同年5月、ジュコーフスキーの紹介でアレクサンドル・プーシキンと会います。プーシキンはゴーゴリの才能を評価し、以後、親交を持ちました。同年9月、当時流行のウクライナのフォークロアに取材した『ディカーニカ近郷夜話』を出版し、一躍人気作家となります。
 その後、ウクライナ物を集めた『ミルゴロド』や、ペテルブルクを舞台にした『肖像画』、『ネフスキー大通り』、『狂人日記』、『鼻』などの中編小説で文名はいよいよ高まり、1836年の戯曲『検察官』によってその名は広く一般に知られるところとなります。
 1837年、外国旅行中に、パリでプーシキンの訃報を知り、衝撃を受けます。ゴーゴリはその残りの人生の大部分をドイツとイタリアで過ごしました。『死せる魂』と『外套』を書いたのはこの頃のことです。1852年3月4日、彼は宗教的理由により断食を決行し、死去します。『死せる魂』は第一部は完成しましたが、第二部は未完のまま残されました。
 ドストエフスキーをはじめとして、その後のロシア文学にゴーゴリが与えた影響はきわめて大きく、またゴーゴリは長らくロシア・リアリズム文学の祖とされてきました。その作品の幻想性、細部の誇張、グロテスクの手法などが20世紀文学に与えた影響も重視されています。

ゴーゴリの作品