犀星訳蜻蛉日記 下巻

蜻蛉日記を簡潔流麗な犀星の現代語で読む。

この本について

 藤原道綱母作、室生犀星訳の「蜻蛉日記」です。以下のように上中下の三巻に分かれています。

蜻蛉日記上巻 天曆八年(九五四年)—安和元年(九六八年)
蜻蛉日記中巻 安和二年(九六九年)—天禄二年(九七一年)
蜻蛉日記下巻 天禄三年(九七二年)—天延二年(九七四年)

 この本は、そのうちの下巻に当たります。

 この古典教養文庫版の「犀星訳蜻蛉日記 下巻」には、次のような特長があります。

  1. 本文については、すべて犀星の訳文通りの入力となっていますが、読みやすさを第一に考え、和歌及び長歌の部分の解釈を、二段階小さな文字にして3字下げにしてあります。また長歌の原文を追加しました。

  2. 年ごとに章分けしてあります。

  3. 原文で触れられた場所、人物、絵画などを中心に、関連する画像を、著作権フリーのものにかぎって、いくつか挿入しましたので、より興味深く読み進めることができます。

  4. わかりにくい言葉や、登場人物、でき事、作品などについての適切な注を、割り注の形で入れてありますので、本文の理解が深まります。これは編集者が適宜加えたものです。

犀星訳蜻蛉日記 下巻について

「蜻蛉日記」は、平安時代の女流日記です。作者は藤原道綱母。天暦八年(九五四年)— 天延二年(九七四年)の出来事が書かれており、成立は天延三年(九七五年)前後と推定されます。
 上中下の三巻よりなり、題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」によっています。
 夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についてなどが書かれています。作者の没年より約二十年前、三十九歳の大晦日を最後に筆が途絶えています。
 また歌人との交流についても書かれていて、掲載の和歌は二百六十一首あります。その中の「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首にとられていて有名です。
 女流日記のさきがけであり、『源氏物語』はじめ多くの文学に影響を与えています。
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底本

 室生犀星訳「蜻蛉日記」
  河出書房新社版「日本文学全集」第五巻
  昭和三十五年十一月十日発行

改版履歴

2018-01-06

第2版読者の方のご指摘により、幾つかの誤植を訂正させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

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