「聊齋志異」正訳と完訳の違い

 

先に完結した「完訳聊斎志異」と今刊行途中の「正訳聊齋志異」とはどこが違うのでしょうか。まず、訳者柴田天馬が「正訳」についてのべている以下の文章が参考になります。

「……正譯といふと何か改まつた感じがしますが、要は原文を殆ど增減せずに、振假名の效果を極度に利用し、できるだけ漢音を避け、直譯と意譯を兼ねた平易な文章にしたものであります。ところが、振假名から本文へ、本文から振假名へ、飛石傳ひが煩はしいと云ふ人もあるので、一應振假名を本文に書き改め已に組版を終つてから之を正譯に較べて見ると、意味は全く同じながら、原文の妙字麗句の代りに當て字などが居坐って、明珠を瓦礫に換へたやうに思はれるので、再び稿を新にし、再び版を改めて、略ぼ正譯に近いものとしました。其の正譯と異なるところは、總振假名を部分的振假名にしたこと、一字の接續詞や助字などを假名にしたこと、其の他多少の添竄を加へたことであります。」

厳密に柴田天馬が意図した「正訳」と言える「嫦娥」の冒頭について、原文、完訳、正訳の順に画像を掲載しておきますので、ご覧ください。

まず原文です。
 
 
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次に完訳聊齋志異です。

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最後に「正訳聊齋志異」です。

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